老いてはいても気持ちだけは若い時と一緒 何も変わらない


老いているおっちゃんですが、

気持ちだけは若い時と一緒で何も変わらないのです。


しかし、’老い’ とも向き合っております。


皆さんも頑張っておられるご年配の方々を見ると、

スゴ〜イ! と思われるかもしれませんが、

気持ちは若い時と同じという方が多いのですよ。


それなら若い時と何が違うのと、

若い方々は思われるかもしれませんが、

勿論、気力、耐力、若さから出るパワーなどの衰えや、

シミ、シワ、薄くなった或いは白くなった髪、

更に付け加えるなら膝や腰や関節などの痛みなどなどの、

ガタが来た身体ですかね〜!


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しか〜し、多少頭の回転が鈍くなったとしても、

どういう訳か気持ちは若い時と一緒なんですよ。


そこで、何が違うの と言う事にもう一つ加えるなら、

”経験かな” とおっちゃんは思いますよ。


老いてくればと言いますか、

生きて実社会で経験を積んで来れば、

若い頃や或いは中堅処の思う事は大概同じことを、

我々も経験して来たよな って感じになります。


だから、人生の後輩さん達が考えていることは、

大概分かります。


例えば、クラブ活動などで辛い練習で不満や或いは悩みなどや、

惚れた晴れたの恋愛のお悩みや人生のお悩みなど、

何考えているのかなどなど大概分かるのです。


若い方々からすれば、

おっちゃん何言ってんの!?


われわれの気持ちなど分かるはず無いじゃん!

と思われるかもしれませんが、

分からないかもしれないけど、

お年寄りの皆さんは同じような経験はしてきてるのですよ。


当然ですが100年前や50年前などからは時代が変わり、

生活環境や文化等に変化があるのは当たり前です。


しかし、「歴史は繰り返す」と言う言葉があるように、

時代が変わっても、少年期、青年期、壮年期など、

同じような悩みが繰り返されるのですよ。

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だから、若い方々があと数十年生きていけば、

時代や文化の変化の中で生きていくことになりますが、

その中で経験したことなどが ”生きた知識” となり、

ご年輩の方々と同じようなことが言える、

或いは感じられるようになり、

結局はご年輩の方々と同様の気持ちになり、

「老いてはいても気持ちだけは若い時と一緒 何も変わらない」が、

分かるようになると思いますよ。


そこで、おっちゃんも同じなのですが、

「まだまだ若い者には負けん!」 と気張ってみても、

結局は迷惑を掛けたりしないように、

昔のようにバリバリ頑張れた時とは違うって事は、

認識しなければと思う次第です。


ただ、「まだまだ若い者には負けん!」は、

老いてはいても気持ちだけは若い時と一緒 何も変わらない、

という気持ちがあることは、

若い方々にも理解していただきたいと思いますし、

ご年輩方の経験や経験からにじみ出た知識などは、

若い方々に継承して欲しいな〜!

な〜ん思いながら老いと向き合っているおっちゃんです。

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どうしても合わない人が居る これはどうしようもない!


人間関係において、

どうしても合わない人っていませんか?


勿論おっちゃんにもいます。


波長の  ’合う人’  ’合わない人’  これはどうしようもないです。


それを無理に合わせる必要はないと思います。


恐らく相手の方も苦手だなと思っているあなたに対して、

同じようにそう思っているかもしれません?


ただ、対話を閉ざした状態でいることは、

おっちゃんは良しとはしませんね。


確かに ’合わないし’ ’近寄りがたいし’ ’話題もないし’

とかで対話の ”輪” が交わりにくい感じで、

なにも好き好んで話しをする必要は無いかもしれません。


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しかし、政治の外交においても「対話の扉は開いています」

とは言われますが、

対個人であっても柔軟でありたいですよね。


仕事となればあの人とは合わないから、

”しゃべりたくありませ〜ん 協力できませ〜ん!”

なんてことはできません。


学校の同じクラスだって同様だと思いますよ。


確かに、人間関係においてはどうしても波長が合わない人がいます。


これはどうしようもないです。


それを自分の意に反して無理に波長を合わせる必要はないと思います。


しかし、コミュニケーションまでは閉ざしてはならないと思うのです。


なぜなら、人間関係において、

どうしても合わない人がいても、

その人から 「得られる」 「学べる」

ことがあるからです。


その 「得られる」 「学べる」 を、

”否” とするのではなく、

柔軟な対応ができる血肉とする栄養となれば、

あなたの成長の糧になるのではないかな?

とおっちゃんは思うのです。


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仕事などにおいてあの人とは 合わね〜よな〜 と思っていても、

仕事場では逃げ場がありません。


それなら、ご自身の人間関係の成長の為にも発想の転換で、

合わないよな〜 の人からも 「得られる」 「学べる」 で、

考えてみてはいかがかな と思います。


ただ、無理に合わせる必要はないと思うのですがね。


相手の方もあなたに対して同様の感じをしているかもしれませんし、

逆に、エ〜 うそう〜! そんな感じに見えてた〜?! なんて、

誤解が解けるかもしれませんし、

そう簡単に人の受け止めを決めつけてはいけないな、

という反省もあるかもしれません。


何でもそうですが 「人間関係」 もまた ”奥が深い” のです。

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仕事はお金をもらいながら勉強が出来ます。有難いことです。


仕事はお金をもらいながら勉強が出来ます。


感受性を豊かにすれば、

仕事を超えた学びは無限に広がります。


有難いことです。


学校というところは(親が)お金を払いながら勉強しますが、

実社会に出ていけば生きていく為に仕事を余儀なくされます。


組織の中でも個人事業主でも仕事をするということは、

仕事の内容に応じていろいろと覚えなければならいことは、

たくさんあります。


でも、仕事をしながら仕事を覚える ということは、

黙っていても時間が経てば覚えていきます。


しかし、仕事という媒体を通じて仕事以外のことも勉強できます。


給料をいただきながらも或いは事業主報酬を得ながらも、

いろいろなことを経験しながら勉強することができるのです。


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学校ではほとんどの場合親が授業料を支払っていたのですが、

実社会では各々がお金をもらいながらも、

勉強できることが い〜っぱい あります。


確かに、資格などの取得試験は仕事をしていれば仕事に追われ、

思い通りの勉強が出来ずにいるとう方々もおられるでしょうし、

いらっしゃった と言う方々も多いかもしれません。


でも、それはそれとして、それ以外にも勉強することはあります。


仕事を通して人間関係とか人生についていろいろ考えてみたり、

年数が経てば教える立場になっていた とかなどなど、

(親が)お金を払いながら勉強してきたことを糧に、

お金をもらいながら仕事を通して考えたり感じたりして、

仕事以外に社会人として成長していく過程において、

勉強は欠かせません。


生きていくには食べていかなければなりません。


しかし、ただでは食べていけません。


従って、ただでは生活してはいけませんし、

当然ながらお金は必要になります。


お金を獲得するには仕事をしなければなりません。


そうすることでいろいろと ”学び” が出てきます。


何も教科書を開くだけが勉強ではありません。


学校という教育の場で勉強したことが、

実社会で生かせることなどあまり無いかもしれませんし、

実感できないかもしれません。


学校では 1+1=2 ですが、

世の中においてはそうはならないことのほうが多いかもしれません。


そうしたことをお金をもらいながら勉強出来るのが実社会です。


綺麗事やそうでも無い事が世の中には沢山うごめいています。


どちらの言い分も正しいということも別に珍しい事ではりません。


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そうしたことを仕事を通して、

組織の中の一員であれば給料をおもらいながら、

或いは個人事業主なんかであればお金を稼ぎながら感受性を豊かにし、

感受性を豊かにすれば仕事を超えた学びは無限に広がります。


とにかく生きていくには食べなかればなりませんし、

衣服や居住などの問題や電気・ガス・水道の料金などなどなど、

とにもかくにもお金は必ず必要ですが、

打ち出の小槌のように、

好きなだけお金が湧いて出てくるようなことはありません。


生きていく為の方法はさまざまでも、

仕事を通してお金を稼がねばなりません。


そして、仕事に関する学びは勿論のことですが、

お金を稼ぎながら仕事意外のさまざまな学びを通して、

感受性を豊かにし有意義な人生を謳歌していただければいいな!

と思います。


仕事は、お金をもらいながら 勉強が出来る 学びの場 です。


それって有難いことなのです。


職場で文句ばかり唱えないで、

時には感謝することも 有り かもしれませんよ。

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初めての子育ては手探り状態 乳児となればもう大変!


初めての子育ては誰だって手探り状態です。


乳児となればもう大変です!


お婆ちゃんやお爺ちゃんが居ても、

乳児の面倒はやはりお母さんが主役ですよね。


奥様方のお婆ちゃんやお爺ちゃんが居れば心強いかもしれませんが、

旦那様方のお婆ちゃんやお爺ちゃんと同居であれば、

普段から気を遣う事も有ろうかと思いますし、

初めての子育てでましてや乳児ともなれば、

心強いところも有れば、

ご家庭によっては普段よりももっと気を使ったりしてね。


近くに頼れる人がいらっしゃったとしても、

四六時中乳児の面倒を見るのはやはりお母さんでしょうし、

初めての子育ては誰だった手探り状態だと思います。


旦那様はとにかくお金を稼がねばなりません。


そんな旦那様、奥様の乳児の子育てだって大変なんですよ。


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旦那様もお疲れかもしれませんが、

少しでも奥様からの赤ちゃんの一日のお話とか、

こんなこと あんなこと の話を聞いてあげてね。


そして、家事のお手伝いもしてあげてね。


赤ちゃんは生まれたときから1年そして2年の、

乳幼児期は人格形成に大きく関わってくると思われますので、

どうか夫婦で協力しあいながら子育てに関わって欲しいと思います。


望まなかった子供なんてことは許されません。


お婆ちゃんやお爺ちゃんも子育てに参加も有りで良いのですが、

お婆ちゃんやお爺ちゃんは基本的には責任がありません。


確かにお婆ちゃんお爺ちゃんに赤ちゃんを預けて、

旦那様と奥様二人して仕事ともなれば、

お婆ちゃんお爺ちゃんは孫の面倒を見ることになり、

責任が生じるようになりますが、

やはり、ご自身達のお子様である、

奥様と旦那様が二人三脚での子育ては当たり前です。


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子育てや生活に関することなどなどのいろいろな悩みを、

奥様が一人でかぶるのは良くありません。


子育てを含めた生活に関することは、

奥様と旦那様の二人三脚が大きく求められます。


一瞬の快楽は

一時の苦痛を生み

一生の苦悩を生む

と言われます


初めての子育てというのは、手探り状態が当たり前。


乳児となれば もう大変!! は当然です。


しかし、お子様は次世代を担う大きな宝です。


ガンバレ―!!

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単位を変えると物事の見方や考え方が変わることもある(2)


「単位を変えると物事の見方や考え方が変わることもある」

の(2)として、「1」を「1」に換算して考えてみたいと思います。



というタイトルで紹介しましたがその内容は、

「円(お金)」 を 「長さ」 の単位に置き換えてみる というものでした。


今度は 「円(お金)」 を 「年」 という単位に変えてみます。


つまり、「1円」 は 「1年」と言う感じです。


またお金かよ と思われるかもしれませんが、

親しみやすい単位ですのでお許しを!


良く地球の歩みみたいなことのTV番組を見たことがあると思います。


大体ですが地球誕生から約45億年とか46億年とか言われますが、

1億年とか2億年とかの差が出たりするのです。


でも、その 億年 という年月は凄い年月なんですよね。


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そして、生命の誕生と言われるものが諸説ありますが、

38億年前位なんでしょう?


更に人類の誕生と言えば人類の先祖と言われる霊長類の出現が、

約6、500万年前と言われています。


でも何か ピン! ときませんよね。


どの程度の昔? と思われるかもしれません。


そこで、「年」 を 「円」 に単位を変えてみますと、

ちょっとは感覚的にわかるのではと思います。


つまり、1年を1円としますと、

地球が誕生してだいたいですが、

46億年前とすれば46億円になりますかね。


人類の先祖と言われる霊長類が出現してからだと6,500万年位前ですから、

6,500万円位になると言う事ですね。


日本の歴史からすると大規模な竪穴の住居の集落がつくられると思われる、

縄文時代から毎年1円ずつ積み立てたとして、

今では大体5,000円位でしょうか。


つまり、今は西暦2,020年ですが、

縄文時代は紀元前3,000年位前と思われるため、

大体5,000年が経過しており、

1年を1円に換算すると大体5,000円位となります。


そう考えますと、地球の歴史って凄いですよね。


1億年〜2億年の誤差が生じたりしていますが、

その1億年の間って人類が誕生していないんですよ。


そんなことを考えると地球の歴史からすれば、

人間の一生なんて目のまばたき程度かもしれません。


そんなまばたき程度の一生で悔やんだり悩んだりしても ね〜〜〜!


しかし、そんなことは言っても太古の昔から変わらないものの一つに、

人間の生きている間に必ず味わういろいろな悩み。


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ただおっちゃんは、一つの例として「円」と言う単位を、

「長さ」や「年」などに置き換えてみるなどして、

単位を変えたりしてみれば世の中の見方や考え方などの、

新たな気付きに気付くかもしれませんよ〜! と言うことです。


つまり、例として 単位を変えてみる ということですが、

要は、辛い時 とか いろいろなお悩みを抱えている時 などは、

いろいろ見ているようでも実際は意外と何も見えていない、

単調な見方や考え方しかできてない状態なのかもしれないので、

全く視点の違う角度から見方や考え方などをしてみれば、

新しい糸口や出口も見いだせるのではないか? ということです。


ただ、その事については話しが長〜〜くなりますので出だしで止めますが、

いろいろお悩みされている方などに少しでも何らかの参考になればな〜、

なんて思っております。

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