夫婦はいつまで経っても所詮は ”赤の他人”!
だから良いんですよね。
何故 ”赤の他人” の「赤」なのか調べてみますと、
仏教用語で、仏前や墓前に供えられる ”水” を意味する、
「閼伽(あか)」 が転じたという説もありますが、
閼伽のように冷たい関係の他人が、
「赤の他人」らしいのです。
しかし、「赤」を協調の意味として使用する単語は他にも有る為、
この説には 無理が と言う意見もあるようです。
いずれにしても夫婦はいつまで経っても、
所詮は「赤の他人」なんです。
それって良いんじゃないですか。
”水” は器に沿って逆らうことなく形を変えます。
”水” は生命の源でもあります。
”水” が無くては生命も誕生しなかったでしょうし、
動物であろうと植物であろうと生命を維持できませんよね。
そこで ”水” の冷たさを愛で暖かくして、
お互いの器に沿って形を変えながら共に末永く、
そしてお互いの存在が空気のようになる。
それって人肌の ”水” でも蒸発して空気に!
蒸発すると ”水” は無くなってしまいますが、
お互いの愛情でおぎ合いながら、
仏前や墓前に供える ではないですが、
お互いの愛情で見えない「水」を供えていく、
な〜んて解釈したらいいのかな〜〜〜!!
時には冷や水を投げかけられることがあることも、
当然ですが覚悟しておかなければいけませんがね。
おっちゃんだっで、
時にはなかなか良い事を言うのですよ?
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