初めて授かった我が子を見た瞬間、命の恐怖を覚えた記憶がある


初めて授かった我が子を見た瞬間、

おっちゃんは命の恐怖を覚えた記憶が

あります。


10年かかって授かった我が子ですが、

その子も今では学生を終了し、

更に2年間の延長をしています。


従って、随分と昔のことですがどういう訳か、

あの瞬間は今でもはっきり覚えています。


はっきり言えば初めて授かったではなく、

二度の流産がありました。


家内は落ち込んだりしまして大変ではありましたが、

何とか三度目の妊娠で長男を出産することができました。


出産に立ち会いましたが、

こっちも力む思いでした。


そして産声を上げたときは何だかホットした記憶があります。


子育て17-1.png


家内は産後も大変でしたが何とか耐えて、

病床に戻ることが出来ました。


我が子が生まれてきたときは感じなかった恐怖ですが、

綺麗になって保育器に入っている我が子を見た瞬間、

命の恐怖を感じたのです。


生まれてきたからには

必ず死ななければならない!


その順番は生まれてきた順番には関係なく、

この子がおっちゃんや家内よりも先に逝く可能性だって、

十分にあり得る訳で、

命の重みを保育器に居る我が子を見て、

改めて命の恐怖を感じた記憶が未だに鮮明に残っています。


それは我が子が2年間の学生延長している今でもその可能性はある訳で、

我が子が親より先に逝く事例は別に珍しい事でもありません。


ただ、おっちゃんたちにその不幸が押し寄せていないだけで、

今日にでも押し寄せてくる可能性はいつでもある訳です。


だから、生まれたからには死ななければならないけれど、

いつ何時その瞬間が訪れるか分からないからこそ、

心の奥底にその覚悟だけは置いておかなければならないのです。


命を宿す とは、

その瞬間に、

死をも宿す ことになるのです。


子育て17-2.png


初めて生を受けた我が子を保育器から見た瞬間に、

ちゃんと育てていけるだろうか? などと言う事ではなく、

おっちゃんに似てるな! なんて可愛い子だ! と、

とても新鮮な感動を覚えた瞬間でもありました が、

それと同時に、生まれたからには死ななければならないと言う、

命の恐怖を実感として覚えた記憶が未だにあるのです。


そして、三人で家に帰ってきて、

我が子抱きながらホットしている家内に、

残酷であることを承知で家内に話しました。


この子が我々よりも先に逝く可能性もあるから、

その覚悟だけは常に持つように と。


初めて我が子と一緒に我が家に帰ってきたのに何てことを言うの、

という悲しくも怒りともとれる顔で、

家内はおっちゃんを見上げた記憶があります。

(同じようなことを こちら でも話しております。)


確かに命がけで赤ちゃんを生んだ家内にしてみれば、

とんでもない事を言っていると思うのは当然です。


しかし、生まれてきたからには死ななければならない。


それは当然のことであり、我が子であっても例外ではなく、

覚悟を持って受け入れなければならない命の重みというものを、

理解できなくとも頭の片隅に置いておくべきものと、

おっちゃんは思うのです。

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